月兎耳亭’s blog

月兎耳亭 ニコラシカと申します。よろしゅう。

情けは人の為ならず

 僕の座右の銘のひとつが「情けは人の為ならず」なのですが、20年ほど前にショッキングなことを言われました。

 本題に入る前に2つのことを解説しておきます。

(1)まず、いつものようにChatGPTに意味を教えてもらいました。

---<意味>-------------------------------------------------------------------------------------

「情けは人の為ならず」は、「人に親切にすることは、結局は自分にも良い結果として返ってくる」 という意味のことわざです。

しかし、このことわざはよく誤解され、「他人に情けをかけるのは、その人のためにならない(甘やかすことになる)」という意味だと思われることがあります。実際には、「人に親切にすれば、巡り巡って自分にも良いことが返ってくる」というポジティブな教えです。

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(2)文化庁国語課 -令和4年度- 国語に関する世論調査〔令和5年3月調査〕引用

 図のように正しい意味を知っている人は46.2%になります。

 20年前もそんなにパーセンテージに変りなかった気がします。

 

 さて、話を戻します。ショッキングな回答を要約したのがこちら。

 「『情けは人の為ならず』って結局は自分のためなんだからエゴ(利己主義・自己中心的)でしょ」

 正しい意味知っててこれかよッ!!

 これって正答46.2%の内の何%かは意味を取り間違えてるんじゃないですか?

 ちなみに回答者は友人の妹で旧帝大卒の医療関係者。だからなのかなー。他人に尽くす職業(利他主義・献身の人)だから、自分のため=エゴに結びいたのかなー。

 僕の思っている『情けは人の為ならず』とは、例えば、「電車で老人に席を譲る社会を形成していくと自分が老人になった時に席を譲ってもらえる」そのような長い長いスパンで正の連鎖(利他の連鎖)を作り上げていくことだと認識してました。道とか徳の世界観。善因善果を説く仏教感。(僕、神道だけど。もっと言うと老子信仰(?)してるけど。)

 ちなみに「情けは人の為ならず」の初出は良く分かりませんでした。かなり古くからあることぐらいしか。なので、たまに『新渡戸稲造(旧五千円紙幣の人)』の言葉だよと言われることもありますが、もっと古くからあったものに新渡戸稲造が言葉を付け加えたんだと思います。

   施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ

   我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな

出典:『[新訳]一日一言:「武士道」を貫いて生きるための366の格言集」 新渡戸稲造著』(大正4年発売)「4月23日“恩を施しては忘れよ”」より

 情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるものだ。だから自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよ、という意味ですね。

 新渡戸稲造の解釈では「情けは人のためならず」の本当の意味は、情けは、自分の心の満足のためにかけるものであって、見返りを求めるものではない。ということではないかと思います。というか道とか徳の世界観が通じない幼子や西洋人に向けて書かれたのかも知れないと愚考します。

 まだ、ちょっと続きます。

 「情けは人のためならず」の対義語って何だと思います? 僕的には「割れ窓理論」なんですが、どうでしょう?

Wikipediaから引用します。

 割れ窓理論(われまどりろん、Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案した。「建物のが壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。破れ窓理論[1]壊れ窓理論[2]ブロークン・ウィンドウ理論などともいう。

 これは悪因悪果っぽくないですか? 負の連鎖っぽい感じがそうかなと。

 以上で終わります。