月兎耳亭ニコラシカ

ファンタジー酒場「月兎耳亭ニコラシカ」の店主による雑記ブログ。日々の出来事、読書、ボードゲーム、創作などをのんびり綴っています。

【入口】月兎耳亭へようこそ【固定記事】

ようこそ月兎耳亭へ。

ここは秋田市のどこか、
現実から少し外れた路地裏にある
小さな酒場です。

この酒場では店主が、
日々の出来事や読書、遊びや創作の話などを
帳簿のように書き残しています。

気になる頁があれば、
どうぞ自由にめくってみてください。

思い出したときに、
またふらりとお立ち寄りください。

 

また、
初めての方は下記の記事も
どうぞご覧ください。

tsukitojitei-nikolaschka.hatenablog.com

tsukitojitei-nikolaschka.hatenablog.com

tsukitojitei-nikolaschka.hatenablog.com

嘘から出た実? 和同会の色覚治療は「ハビリテーション」だったのではないか

以前から数回にわたり、色盲・色弱に関して会話してきました。 和同会の方法が、嘘から出た実のように、 治療ではなくハビリテーションになっていたのではということを私は主張してきました。 それに関して何か新しい意見はありますか?
 
 

はい。以前より、私はその仮説をもう少し強く評価してよいと思います。

ただし結論は、「和同会の電気刺激が色覚異常を治した」ではありません。むしろ、

治療法としての説明は誤っていた可能性が高いが、その一連の体験の中に、結果として色覚のハビリテーション/知覚学習を起こす要素が含まれていた可能性はある

という形です。

なぜ以前よりそう考えるのか

かなり面白い研究が出ています。2024年の研究では、特定の色について色弁別を5日間繰り返しただけで、色弁別閾値が改善しただけでなく、色の見え方そのものや色カテゴリーの境界まで変化しました。つまり成人の色覚でも、「入力装置である錐体が変わらなくても、その信号を脳がどう利用するか」は訓練によって変化し得ます。

これは、あなたが以前から言っていた「治療ではなくハビリテーションだったのでは」という発想とかなり相性がいいです。

さらに先天的な赤緑色覚異常、とくに異常三色型については、弱いL-M信号を視覚系がある程度補償している可能性が研究されています。2021年の研究でも、異常三色型には正常色覚とは違う後受容器レベルの補償が存在する証拠が報告されています。ただし、その仕組みを単純な「脳が弱い信号を増幅している」と説明できるほど話は単純ではありません。

2026年の最新レビューでも、色覚は単なる「3種類の錐体の性能」だけではなく、その後の反対色処理、神経的補償、視覚適応まで含めた系として扱われています。

ここからが、和同会についての新しい見方です

和同会について調べると、1970~80年代に「額に電流を流して色覚異常を治療する」と主張していたこと、それに対して日本眼科学会が批判していたことは歴史研究でも確認できます。

したがって、

電気刺激 → 錐体の異常が正常化 → 色覚が治癒

という因果関係を支持する根拠は、現在でもありません。

しかし、ここで「だから経験した変化も全部インチキだった」と切ってしまうのも、私は適切ではないと思います。

和同会で行われていたことを、治療の生理学ではなく、学習の生理学として再解釈する余地があるからです。

たとえば、

反復して色を見る → 色を識別しようと注意を向ける → 検査を繰り返す → 微妙な色差に気づく → 脳が利用可能な手掛かりを学習する

というループです。

電気そのものが主役ではなく、治療という儀式に付随していた反復的な色覚課題が主役だった可能性です。

これはかなり重要な違いです。

特に興味深い研究があります

色覚異常者が色補正フィルターを数日間装着すると、フィルターを外した後にも赤緑の色相が以前より目立って感じられることがあるという研究があります。

研究者たちは、その説明の一つとして、入力そのものが改善したというより、

subtle differences in sensory cues を区別する「perceptual learning」

つまり、もともと存在していた微弱な情報を視覚系がより上手に読み取るようになった可能性を論じています。

ここは、あなたの仮説にかなり近いところです。


そして、以前お話しされた石原式の見え方の変化や、赤と緑の分離が以前より明確になったという経験を考えると、私は次の3層モデルで考えるのが一番面白いと思っています。

和同会によって変化した可能性
① 錐体・視物質 低い
② 網膜以降の色信号処理 不明
③ 脳による色差の読み取り・注意・分類・学習 十分あり得る

特に③です。

「赤と緑を見る能力そのものが新しく生えた」のではなく、

以前から存在していた弱い赤緑信号を、脳がより効率よく拾うようになった

というモデルです。

これは「治癒」とは全く違います。

むしろ、

先天的なハードウェア制約は残ったまま、信号処理側のソフトウェアがチューニングされた

と考えると分かりやすいでしょう。

機械的に言えば、センサー交換ではなく信号処理系のゲイン調整+識別アルゴリズムの学習です。

ただし、ここには非常に重要な境界線があります

石原式検査の成績が良くなっただけなら、「石原表を学習した」「明度差や輪郭など別の手掛かりを覚えた」という説明も可能です。色覚検査では、色そのものの識別と、色を使って課題を解く能力を分離する必要があります。高次の色処理には分類や言語化なども関与します。

だから本当にあなたの仮説を検証するなら、

「石原式が読めるようになったか」ではなく「未学習の色刺激でも弁別閾値が改善しているか」

を見るべきです。

ここが決定的です。

たとえば石原式とは無関係な刺激を使って、

L-M軸の色弁別閾値
→ Farnsworth D-15などの配列
→ 色相カテゴリー境界
→ 彩度判断
→ 未知の自然画像での色識別

と検査を変えて、それでも一貫した改善が残っていれば、単なる「検査慣れ」では説明しにくくなります。

そして実際、異常三色型でも自然界の色については、実験条件によってかなり良好な色弁別を示すことが報告されています。


ですから現在の私の評価を一文にすると、

「和同会の色覚治療は医学的な治癒としては支持できない。しかし、そこで反復された視覚刺激・色弁別・注意・検査などが偶然に知覚学習を引き起こし、一部の人に長期的な色識別能力の変化を生じさせた」という仮説は、現代の知覚学習研究から見ると、検証する価値のある科学的仮説になっている。

となります。

そしてもう一歩進めると、私は「ハビリテーション」という言葉より**「色覚知覚学習(color perceptual learning)」**として整理すると、かなり強い仮説になると思います。

「和同会は効いた/効かなかった」という40年前の論争から離れて、

電気刺激を除外して、色刺激と訓練だけを再構成したら何が起こるのか?

という実験に変換できるからです。

これは「嘘から出た実」というあなたの表現を、かなりきれいに科学的検証可能な形へ落とし込めるところまで来ています。

 
 
私の「和同会の電気刺激が色刺激になったのでは?(脳の電気シナプスとして)」 という意見を裏付けるものがありますか? もしくは何かChatGPTの方から意見(推測等)はありますか?
 

はい。その考えを完全に裏付ける直接証拠はありませんが、「電気刺激が視覚入力に似た信号として視覚系に入った」という部分には、かなり重要な傍証があります。 そして今回調べ直して、私は以前より少し違う仮説を持ちました。

まず用語だけ整理すると、「脳の電気シナプス」というより、電気刺激によって網膜・視神経・視覚系ニューロンの発火パターンが変化し、それが人工的な視覚入力になったと表現する方が神経科学的には近いです。

かなり強い傍証が「電気で光が見える」現象です

頭部への交流電気刺激によって、実際には光が入っていないのに**閃光や光点を感じるフォスフェン(phosphene)**が生じることは確立しています。

しかも面白いことに、「後頭部の視覚野を刺激しているから視覚野が直接反応している」と考えられていたものの、その後の研究では、頭部を流れた電流が網膜まで到達し、網膜神経節細胞などを刺激している可能性がかなり高いことが示されました。

これは、あなたの仮説にとって重要です。

つまり、

電気刺激 → 神経活動 → 視覚体験

という経路そのものは、仮説ではありません。実際に起こります。

問題は、その人工的な視覚信号が**「色覚訓練として意味のある信号だったか」**です。

ここはまだ証拠がありません。

そして、もっと興味深いものがあります

実は1950年代に、日本の研究者であるMotokawa(本川弘一)らが電気刺激と色覚について研究しています。

後のレビューでも、交流刺激によるフォスフェン研究が**「color vision の領域までMotokawa and Ebe (1952)によって拡張された」**と明記されています。

これは和同会の話とは別物ですし、「和同会が正しかった」という証拠ではありません。

しかし、

電気刺激と色覚系の反応との関係を研究すること自体は、神経生理学的に荒唐無稽ではなかった

という点はかなり重要だと思います。


私なら「人工色刺激説」を少し修正します

あなたの仮説は、

和同会の電気刺激
→ 脳内で色刺激に相当する電気信号が発生
→ 反復によって色覚系が訓練された

というものだと思います。

私は現在、それをもう少し変えて、

「電気刺激そのものが赤・緑・青という色刺激になった」のではなく、電気刺激が視覚系に非特異的な人工信号を入れ、その状態で色覚課題を反復したことが知覚学習を促進した

という仮説の方が、生理学的には面白いと思っています。

図式化すると、

電気刺激

網膜・視神経・視覚系の神経活動が変化

通常とは異なる視覚信号が発生

+ 色を見る/判別する/検査する

赤緑系の弱い信号に繰り返し注意

視覚系が「この微弱な差を使えばいい」と学習

色弁別の改善

です。

つまり電気刺激を「色そのもの」と考えるより、

色覚学習時の神経系にノイズや追加刺激を与えた

と考えるわけです。

さらに一歩踏み込んだ推測

ここからは私の仮説であって、実証された話ではありません。

異常三色型の場合、赤と緑の情報が完全にゼロなのではなく、L錐体とM錐体の分光感度の差が通常より小さいタイプがあります。

だとすると、信号処理的には、

入力信号がない

のではなく、

S/N比の悪い信号が来ている

と考えることができます。

ここで長期間、

「赤と緑を区別しろ」
「ここに色差がある」
「この刺激の違いを探せ」

という課題を行わせる。

すると脳側が、

今までノイズとして捨てていた微弱なL-M差を、有用な情報として利用するようになる

可能性があります。

これなら「錐体が治った」必要はありません。

そして電気刺激がそこに何らかの作用をしていた可能性として、私は3つに分けます。

仮説 私の現在の評価
電気刺激そのものが「赤」「緑」という情報になった 低い
電流が網膜・視覚系を刺激し人工的な視覚信号を発生させた 十分あり得る
電気刺激+反復色覚課題が知覚学習を促進した 興味深いが未証明

特に2番目には、フォスフェン研究というかなりしっかりした生理学的根拠があります。頭部への電気刺激が、電極直下だけでなく網膜まで広がり得ることも実験的に示されています。

そしてここから、さらに面白い可能性が出てきます。

「脳を刺激した」のではなく「網膜を刺激していた」のでは?

これは今回、私が一番注目した点です。

もし和同会の電極配置や電流条件で、電流の一部が眼球周辺まで流れていたとしたら、

和同会が考えていた作用部位 ≠ 実際の作用部位

だった可能性があります。

現代のtES研究でも、まさに同じ勘違いが起きました。

「後頭部から電流を入れた
→ 視覚野を刺激した
→ 光が見えた」

と思ったら、

「いや、電流が頭部を伝わって網膜を刺激した可能性が高い

となったわけです。

これは、かなり皮肉で興味深い構図です。

和同会についても、

「脳に電気を流して色覚を治療した」

ではなく、

「頭部への電気刺激が意図せず網膜・視覚系を刺激し、その状態で反復的な色覚課題を行った結果、一部の人に知覚学習が起こった」

という第三の説明が理論上は考えられます。

もちろん現段階では仮説です。

しかしこれは超常的な説明ではありません。「電気で光覚が発生する」「頭部電気刺激の効果の一部が網膜由来である」というところまでは、現代神経科学で実証されています。

だから私は、あなたの「電気刺激=色刺激」という最初のアイデアを捨てるより、

電気刺激 → 人工的な視覚神経刺激 → 色覚課題との同時反復 → 色覚系の知覚学習

という形にアップデートするのが、一番科学的に検証可能だと思います。

そして、もし当時の和同会の電極位置・電流の種類(直流/交流)・周波数・電流値・刺激時間・刺激中に何を見ていたかまで分かれば、かなり面白いところまで踏み込めます。

現代のtES/網膜電気刺激研究と照合して、**「その条件なら網膜刺激が物理的に起こり得たのか」**を一つずつ検証できます。これは次に調べる価値がかなりあります。

 
 
和同会では主にこめかみとこめかみに電気パルスを流していた記憶があります。
 

その記憶が正確なら、かなり重要な情報です。 むしろ「こめかみ ↔ こめかみ」という配置を聞いて、私は前の回答より網膜刺激説を一段強く考えます

理由は、現代の研究に非常に近い電極配置があるからです。

2021年の研究では複数の電極配置を比較したところ、左右の前頭・側頭寄りに電極を置く F7-F8 配置で、フォスフェン(電気刺激によって感じる光)の発生閾値が最も低く、平均95±33 μAだったと報告されています。研究者らは、電極が眼に近いほど低い電流でフォスフェンが生じること、そして主な起源が網膜であることを支持しています。

つまり、もし和同会が本当に

左こめかみ[電極] → 頭部 → [電極]右こめかみ

という配置でパルス電流を流していたなら、

「脳だけを刺激していた」と考える必要はありません。

電流の一部が眼球・眼窩周辺を通り、左右の網膜あるいは視覚系を電気的に刺激していた可能性を真面目に検討できます。

ここで、あなたの仮説を少し改造すると面白いです

最初の仮説は、

電気刺激が脳内で「色刺激」の代わりになったのではないか?

でした。

私は現在なら、

左右こめかみ間のパルス電流によって網膜・視覚経路に周期的な人工視覚信号が発生し、それを何度も経験することで、もともと存在していた弱い色覚信号を視覚系が利用する学習が起きたのではないか?

とします。

これなら、かなり神経科学的な仮説になります。

しかも「こめかみ」という情報が重要です。

現代の研究では、刺激電極が眼に近づくほどフォスフェンを起こすために必要な電流が低下することが確認されています。後頭部刺激ですら、実際には電流が眼まで広がり、網膜を刺激してフォスフェンを起こしている可能性が高いのです。

さらに2025年の研究では、眼の周囲の電極配置を変えるだけで、発生するフォスフェンの位置や分布まで変化することが示されています。つまり「電気刺激 → 網膜活動 → 人工的な視覚体験」はかなり直接的に実証されています。

ただし、「色刺激だった」はまだ飛躍があります

ここは慎重に分けたいところです。

A:こめかみ間の電流が網膜を刺激した
→ 十分あり得ます。

B:その結果、人工的な視覚刺激が発生した
→ これも十分あり得ます。

C:それが赤緑の色覚経路を特異的に刺激した
→ 現時点では証拠不足です。

D:それを反復することで色覚の知覚学習が起きた
→ 生物学的には考えられるものの、和同会については未証明です。

私はむしろCを外して考えています。

つまり、

電気そのものが「赤」「緑」という情報を作った必要はない

のです。


私が今かなり面白いと思っているモデル

仮に異常三色型だったとします。

通常なら、

赤刺激 → L錐体とM錐体の反応差が小さい → L-M信号が弱い → 赤緑を区別しにくい

となります。

ここへ反復的な電気刺激が加わる。

左右こめかみ電極

頭部を電流が流れる
眼球・網膜にも電場

網膜細胞の活動を周期的に変調

視神経

視覚中枢

同時に実際の色を見る・色覚検査をする

「この微弱なL-M差には意味がある」と反復学習

弱い色覚信号を利用する能力が向上

というモデルです。

これは「治療」というより、まさにあなたが言っているハビリテーションに近い。

そして非常に興味深い歴史的事実があります。

交流電気刺激による視覚研究は1930年代から存在し、1952年にはMotokawaとEbeが研究を色覚にまで拡張していたことが、後年のレビューで確認できます。

ですから、

「電気刺激と色覚を結び付ける発想そのものが荒唐無稽だった」

とは、現在では言えません。

問題だったのは「先天性色覚異常が治癒する」という説明だったのであって、電気刺激によって視覚系に何らかの入力が生じること自体は現代神経科学でも確認されている、というのが重要な違いです。

そして、あなたの体験で一つ確認したいことがあります

もし記憶に残っていたら非常に重要です。

こめかみに電気を流している最中、目を閉じたときに「チカチカ」「点滅」「明るくなる」「波打つ光」「色の付いた光」「視野の端が光る」といったものを感じませんでしたか?

特に刺激のパルスと同期してチカチカしていたなら重要です。

それがあった場合、和同会の刺激で実際に視覚系、特に網膜が電気刺激されていたというあなた自身の経験上の傍証になり得ます。

以前お話しされた「色相環の虹色が輪状に波打つ」という現象とも、ここで初めて一本の線としてつながってくる可能性があります。もちろん、それだけで因果関係が証明されるわけではありませんが、私はこの点をかなり詳しく掘ってみる価値があると思います。

 

 

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誕生日と熊本地震、そしてGPTsの進捗

今日は誕生日でした。

祝ってもらったのもつかの間、

熊本では地震で大変なことになっているようです。

東北から、皆さんの無事を祈っております。

 

話は変わりますが、

先日、LINEスタンプ製作用のGPTsを作ったのですが、

いまひとつだったので、ジンベエザメ特化型のGPTsも作りました。

少し良くなりました。

 

LINEスタンプ製作用のGPTsを作ったよ。公開しないけど。

ChatGPTに頑張ってもらいながらLINEスタンプ製作用のGPTsを作りました。

7/21開始で一から作りました。

昨日の段階で大体できたのですが、キャラの向きが画面中央を向いてくれないのに気が付き直すのに時間がかかりました。

どうも、キャラクターは文字の方向を見てしまうらしく、右:文字・左:キャラでないと上手くいかないようでした。最初、向きを逆にしてたんですよね。

とりあえず、報告でした。

次はブログ添削用のGPTsかな?

今日は珍しく、ChatGPTの添削なしのブログです。

 

【思考実験】バスケ経験者がサッカーに物申したい。【机上の空論】

バックパスへの違和感から、サッカーのルールと競技場について考えてみた

先日、ChatGPTにフットサルについて質問した。

きっかけは、フットサルそのものに詳しくなりたかったからではない。

以前からサッカーに対して抱いていた、ある疑問が出発点だった。

バスケットボール経験者には、バックパスが不思議に見える

私は中学生の頃、バスケットボール部だった。

そのため、サッカーを見ると特に気になるプレーがある。

バックパスである。

攻撃していたはずなのに、ボールを自陣へ戻し、ときにはゴールキーパーまで使って攻撃を組み立て直す。

バスケットボールでは、一度ボールをフロントコートへ運んだら、バックコートへ戻すことはできない。

攻撃で使えるのは、基本的にコートの半分だけである。

ところが、サッカーでは自陣のゴールキーパーまでボールを戻せる。

つまり、攻撃中でもフィールド全体を使えることになる。

私は以前から、

「バックパスは禁止にした方が、もっと前へ進む競技になるのではないか」

と思っていた。

サッカーのフィールドは、ただでさえ広い。

そのうえ、バックパスによって攻撃でも全面を使えるため、バスケットボール経験者の私には、なおさら広く感じられるのである。

そこから、

「フィールドが広すぎるのではないか」

「だから得点が動きにくいのではないか」

「11人という人数も多いのではないか」

という疑問につながっていった。

もちろん、サッカーで得点が入りにくい理由は、フィールドの広さだけではない。

ゴールの大きさ、オフサイド、足でボールを扱う難しさ、ゴールキーパーの存在など、さまざまな要素が関係している。

それでも私にとっては、バックパスによって広大なフィールド全体を使えることが、サッカーへの違和感の出発点だった。

そこで気になったフットサル

そんなことを考えているうちに、ふと思った。

「それでは、フットサルはどんな競技なのだろう?」

私の中には、

「サッカーとフットサルは、バスケットボールと3on3のような関係なのではないか」

というイメージがあった。

大きな競技を、コートも人数も小さくして、よりテンポよくしたものだと思っていたのである。

実際、フットサルには次のような特徴がある。

・コートが小さい
・1チーム5人で行う
・ボールに触る機会が多い
・攻守の切り替えが速い
・サッカーほど自由にゴールキーパーへのパスを繰り返せない

そのため、サッカーよりも狭い空間で頻繁に攻守が入れ替わり、試合の展開も速くなる。

バスケットボールを経験した私には、サッカーよりフットサルの方が感覚的に近いのかもしれない。

フットサルは、単にサッカーを小さくした競技ではなかった

フットサルについて調べてみると、意外な成り立ちを知った。

フットサルの原型は、1930年頃に南米ウルグアイで考案されたとされている。

サッカー人気が高まる一方で、誰もが広いグラウンドを自由に使えるわけではなかった。

そこで、屋内や限られた場所でもサッカーに似た競技を楽しめるように考えられたのが始まりだったという。

つまり、

「サッカーを半分の大きさにしよう」

というよりも、

「広いグラウンドがなくても遊べるようにしよう」

という発想だったのである。

競技を作る際には、サッカーだけでなく、バスケットボールやハンドボールなど、屋内競技の要素も参考にされたといわれている。

狭いコートでは、サッカーと同じように何度もゴールキーパーへボールを戻せると、試合が停滞しやすい。

そこでフットサルには、ゴールキーパーへのパスやボール保持時間に制限が設けられている。

私がサッカーで気になっていたバックパスについて、フットサルでは狭いコートに合わせた調整がすでに行われていたのである。

サッカーにも「3ポイントライン」のようなものを作れないか

フットサルについて考えているうちに、別の思考実験も浮かんだ。

サッカーにも、バスケットボールの3ポイントラインのような仕組みを導入したらどうなるだろう。

もちろん、本当に3点を与えなければならないわけではない。

例えば、通常のゴールは1点、ペナルティーエリアの少し外から決めたゴールは2点とする。

狙いは、単に遠距離シュートを増やすことではない。

「積極的に攻めることに、より大きな価値を与えられないか」

という発想である。

遠めの位置からのシュートに追加点が与えられれば、攻撃側はシュートを選びやすくなる。

守備側も、シュートを警戒して今までより前へ出る必要がある。

その結果、ゴール前に選手が密集するだけではなく、守備陣の間に新しい空間が生まれるかもしれない。

一方で、問題も考えられる。

ミドルシュートの得意な選手の価値が極端に上がったり、試合終盤に一度のゴールで結果が大きく変わったりする可能性がある。

また、遠くからシュートを打つことが増えれば、必ずしも丁寧に前進する攻撃が増えるとは限らない。

それでも、バックパスを禁止するだけではなく、

「後ろへ戻すより、攻め続ける方が得になる」

という報酬を用意する発想は、試してみる価値があるように思う。

スポーツは、ルールを一つ変えるだけで別の競技のようになる。

実際に採用される可能性は低いだろうが、実験的な大会で一度見てみたい。

サッカー場を半分にして、2面にできないだろうか

さらに、考えは競技のルールから施設の運営へと広がった。

秋田では以前から、新しいサッカースタジアムについて議論されている。

その中で私が気になったのが、天然芝の管理である。

天然芝は、試合で傷んだあとに養生する期間が必要になる。

そのため、立派なスタジアムを造っても、芝の状態を守るために稼働日を増やしにくいという問題がある。

仮に月2回程度しか試合に使えないのであれば、施設としては少しもったいない。

そこで考えた。

「従来のサッカーコートを半分の大きさにして、2面にできないだろうか?」

例えば、ピッチをA面とB面に分ける。

第1週と第3週はA面を使い、その間はB面を養生する。

第2週と第4週はB面を使い、その間はA面を休ませる。

そうすれば、片方の芝を休ませながら、スタジアム全体としては月4回稼働できるかもしれない。

もちろん、現在のJリーグ公式戦にはピッチの規格がある。

半分の大きさでは、従来の11人制サッカーの公式戦は開催できない。

観客席、選手ベンチ、広告看板、テレビ中継設備なども、現在のピッチを前提に設計されている。

そのため、既存のサッカーをそのまま半面で行うのは現実的ではない。

しかし、競技そのものを少人数制にする、新しい形式の大会を開催する、市民利用や育成年代の試合に使うなど、別の使い方は考えられる。

サッカー場を「月に数回だけ公式戦を行う場所」に限定せず、複数の競技や地域活動に使える施設として考えるなら、ピッチを分けて運用する発想にも検討の余地があるのではないだろうか。

バックパスから始まった思考実験

最初は、

「なぜサッカーは、ゴールキーパーまでバックパスできるのだろう」

という小さな疑問だった。

そこから、

「バックパスがあるからフィールド全体を使える」

「だからサッカーは広く感じる」

「得点が動きにくいのではないか」

「もっと積極的に攻めたくなる仕組みを作れないか」

と考えるようになった。

そしてフットサルの成り立ちを知り、複数得点制を考え、最後には秋田のスタジアム運営にまで話が広がった。

もちろん、今回考えた案を、そのまま現在のサッカーに導入できるとは思っていない。

「サッカーはこう変えるべきだ」と断言したいわけでもない。

一人のバスケットボール経験者が抱いた違和感から始まった、競技ルールと施設設計についての思考実験である。

スポーツには、決められたルールの中で競う面白さがある。

その一方で、

「なぜこのルールなのか」

「少し変えたら、どんな競技になるのか」

と考える面白さもある。

普段とは違う競技の物差しで眺めてみると、サッカーにもまた別の景色が見えてくるのかもしれない。

 

追記:

「サッカーは得点が少ない」と感じる人はどれくらいいるのだろう?

今回の記事を書いていて、ふと気になったことがあります。

私と同じように、「サッカーは得点が入りにくい」と感じている人は、どれくらいいるのでしょうか。

調べてみましたが、「得点が少ないことに不満を持っている人は何%いるのか」という信頼できる調査は見つかりませんでした。

一方で、サッカーの熱心なファンの中には、

「1点の重みがあるから面白い。」

「0対0でも駆け引きを楽しめる。」

という意見が多くあります。

逆に、私のようにバスケットボールなど得点が比較的多い競技を経験した人の中には、

「90分試合をして1対0。」

「0対0で試合終了。」

という展開に物足りなさを感じる人もいるでしょう。

どちらが正しいという話ではありません。

競技が違えば、面白さの基準も変わります。

今回の記事も、「サッカーはこう変えるべきだ」という主張ではなく、一人のバスケットボール経験者が抱いた素朴な疑問から始まった思考実験です。

バックパス、フットサル、複数得点制、スタジアム活用。

一つの疑問から、競技のルールや施設の使い方まで考えが広がっていったこと自体が、今回一番面白かった発見だったのかもしれません。

 

【お題】梅と鰻・フグヒレの話にワサビを少々。

今週のお題「梅」

子供の頃、自家製の梅シロップを水で割って梅ジュースを飲んでいた。

ある日、たまたま晩ご飯が鰻丼だった。

すると食後に原因不明の腹痛が発生。

そこで思い出したのが、

「鰻と梅干しは食い合わせが悪い」

という有名な話だった。

もしかしてこれが原因か?

と当時は思ったのだが、調べてみると医学的な根拠は無いらしい。

結局、あの腹痛の原因は分からないままだ。

原因不明の腹痛といえば、社会人になってからも似たようなことがあった。

若手の頃、「高級な食事にも慣れよう」ということで食事会を開いていた時期がある。

その中で、一度フグ料理屋へ行ったことがあった。

食事そのものは何事もなく終わった。

ところが帰宅後、突然の激しい腹痛。

のたうち回るほど痛かった。

その時の僕は、

「ヒレ酒に中ったのでは?」

と思い込んでいた。

だが後で調べてみると、フグ毒で腹痛が起こるわけではないらしい。

そもそもフグのヒレに毒があるかどうかも種類によるとのこと。

結局こちらも原因不明。

しばらくしたら普通に治った。

梅と鰻の時もそうだったが、

原因不明の腹痛というのは妙に記憶に残る。

原因が分からないまま治るのも、それはそれで少し気持ちが悪い。

 

追記:

ブログで鰻の話を書いたら、奇跡的に今日の晩ご飯が鰻丼だった。

鰻といえば山椒が定番だが、実はワサビもおすすめである。

ひつまぶしの薬味のひとつとして使われているので、試したことがある人も多いかもしれない。

実は僕、これでワサビを克服した。

子供の頃はワサビの辛さも苦手だったが、それ以上に独特の風味が強すぎて嫌いだった。

そんなワサビの印象を変えてくれたのが、ひつまぶしの鰻だった。

ワサビの刺激と鰻の脂が、ちょうどうまく打ち消し合うのである。

気が付けば、いつの間にか普通に食べられるようになっていた。

鰻が好きでワサビが苦手な人には、一度試してみてほしい組み合わせだ。

 

「『ゆう』は嫌いなのに『すいません』は良いんだ……」

Youtubeを観ていたら、好きなVチューバーさんが、

「『言う』を『ゆう』と書くのが嫌い」

という話をしていた。

確かに分かる。

「いう」と書くべきところを「ゆう」と書かれると、気になる人は気になると思う。

ところが、そのVチューバーさん自身は、

「済みません」

ではなく、

「すいません」

を使うのである。

もちろん、「すいません」も話し言葉として定着しているし、間違いだと言うつもりはない。

ただ、

普段から「ゆう」と書く表現を気にしている人が、「すいません」を使っているのを見ると、

「そこは気にならないんかい!」

と少しモヤっとしてしまう。

結局のところ、人は自分が気になるポイントには厳しく、自分が普段使っている表現には意外と無頓着なのかもしれない。

まぁ、僕も他人から見たら同じようなことをやっているのだろうけど。